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林田力『市民が求め創るマニフェスト解説』

 

目次

 

はじめに... 1

マニフェストの会について... 2

目標... 2

東北大震災への復興支援の方法... 2

TPP. 2

福島第一原発事故の解決... 4

除染の問題... 5

避難の権利... 6

エネルギー政策の転換... 8

発送電分離... 9

セーフティーネットの整備(社会保障の確立)... 10

外交・防衛... 14

選挙問題... 15

財源を確保して税金の無駄使いを禁止する。... 17

食糧自給率の拡大... 18

司法... 18

警察... 19

環境... 19

平和教育... 19

改正教育基本法を元に戻す... 21

共生の経済... 22

人権保障... 22

記者クラブの開放... 23

地方分権の推進... 23

地方参政権... 23

 

 

はじめに

本書は市民が求め創るマニフェストの会の作成した市民が求め創るマニフェスト「政権公約」(案)の解説書である。本書の作成に際してはマニフェストの会での議論を参考にしたが、本書中の意見は林田力の個人的見解であり、会の公式見解ではないことを念のために申し添える。

 

マニフェストの会について

市民が求め創るマニフェストの会は市民の立場から市民の意見を政権公約にまとめ、その実現を働きかける市民団体である。マニフェストは国会議員をはじめとして地方自治体の議員達を含め、市民の立場から政権公約として賛同を頂き、市民が求めるマニフェスト実現議員として活動の基礎にして頂くため、市民の意見をまとめ作り上げてきたものである。これまで投票に行かなかった人にも伝わるように市民皆で創ることを目指している。

東急不動産だまし売り裁判を踏まえて「売買契約後に判明した欠陥は契約白紙化に」を追加するなど、マニフェストをより良いものにしていくことを目指している。また、賃貸借契約書に記載のない退室立ち会い費を受領したグリーンウッド新宿店の宅建業法違反事件を踏まえ、「宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底」をマニフェストに追加した。今後もマニフェストの会では多くの人の意見を基にさらに良いものを創りあげたいと考えている。

 

目標

「能力に応じて働き、必要に応じて与えられ、争い・貧困・差別・排外がなく、自殺者も生まれず、芸術・文化が溢れ、一人ひとりの個性を伸ばし、お互いを認めあう豊かな社会を目指します。」

 

東北大震災への復興支援の方法

「真に地元民と地元の中小企業のためになるよう守り育てていく方法がとられることを望む。決して遠く離れた中央官庁の指令でなく、又大手ゼネコン優遇による復興支援の名のもとの利権争いでない、真っ先に地元を大いに生かし希望を持って起業してゆけるような支援をすべきです。」

これほど大規模な避難者が越年することは戦後日本ではなかった事態である。被災者の置かれた過酷な状況に心を寄せたきめ細かい対策と、被災地復興へ希望を示す政治の役割が求められている。

 

TPP

TPP(環太平洋経済協定)は、食糧自給率等の農業問題だけでなく、あらゆる分野で国民の生活を脅かします。格差もデフレも進行し、食品の安全性も損われ国民皆保険制度も崩れ、国民の税金が海外に流出します。ISD条項により国家の主権も崩壊します。話し合いに参加すれば抜けられない仕組みだから、なんとしても止めるべきです。」

TPPは経済的なプラスマイナス論や産業政策ではなく、生活の問題として考える必要がある。弱肉強食の新自由主義経済に投げ込まれることになる。

第一にTPPは国内農林水産業に大打撃を与える。日本とアメリカやオーストラリアは経営規模が異なり、そもそも自由なマーケットで競争させることは不公正である。条件が異なるところで生産性を競うこと自体に無理がある。

国内農林水産業は国民の食料供給基地である。世界は食糧危機の時代に突入する。食料難による輸入途絶の危険は迫っており、食料自給率を上げることが急務である。軍事・食糧・エネルギーが安全保障の三本柱である。

農家が甘やかされているという主張も正しくない。日本の農家への政府補助は欧米よりも少ない。農業には環境を守るという価値がある。林業が崩壊した日本の森は緑の砂漠と言われている。森林に手入れがされなくなった。水田は貯水池であり、土壌の流出を抑えている。水田がなくなると国土の維持が難しくなる。

第二にTPPは東日本大震災からの復興を妨げる。外国からの画一化された安価な農産物の大量輸入は、東北の農林水産業に追い討ちをかける。政府調達の開放や入札仕様書の英語表記、労働力の自由化によって、復興事業が行われても日本人には仕事がないことになる。

第三にTPPは消費者の権利を侵害する。非関税障壁撤廃の名目で、消費者を保護するための規制が緩和される。たとえば遺伝子組み替え作物の表示義務の撤廃、ポストハーベストの使用許可、残留農薬の規制緩和、食品添加物の使用許可、自動車の安全基準緩和などにより、安全安心な商品を求めにくくなる。狂牛病の月例制限も撤廃されかねない。アメリカの狂牛病検査はサンプル検査だけであり、検査なしの牛肉が入ってくる危険がある。

たとえば市民が求め創るマニフェストの会では賃貸借契約書に記載のない退室立ち会い費を受領したグリーンウッド新宿店の宅建業法違反事件を踏まえ、「宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底」をマニフェストに追加した。悪質な業者の情報が周知されることで救われる業者は大勢いる。しかし、悪質な業者を回避する情報提供が競争上の障壁として妨げられる恐れがある。

第四に医療を金儲け主義に変質させる。たとえば混合診療の解禁である。自由診療は全額負担になっているが、混合診療の解禁によって保険部分の医療が狭められる。全額自費の自由診療が広がり、民間医療保険に入らなければ満足な医療を受けられなくなる。外資系民間保険会社が潤う構図である。保険会社が治療方法を決めてしまう。保険会社の払い渋りにより、医療を受けられなくなる。さらに国民皆保険制度も外国企業参入の障壁として攻撃対象になる。

第五にTPPは自由貿易とは反対にブロック経済化を進める。日本の最大の貿易国は中国であるが、その中国はTPPに参加していない。TPP参加によって日本が中国市場から締め出される危険がある。

第六にTPPによる輸出増加のメリットは限りなく乏しい。日本は内需で経済が回っている国である。雇用は輸出産業ではなく、第三次産業が圧倒的である。日本の輸出依存度は一割程度で貿易立国ではない。しかも福島原発事故によって日本産は輸入規制される。日本の規制値は世界から見れば非常識な値である。世界が日本産を忌避することは当然である。

第七に安価な輸入品の流入は日本経済のメリットではない。インフレ傾向ならば安い輸入品は歓迎できるが、デフレ不況の国に安い輸入品が入るとデフレスパイラルに陥る。

第八に現状でも日本は自由貿易を阻害していない。日本の関税は諸外国と比較して決して高くない。現在の貿易は関税よりも為替レートが重要になっている。自由貿易を推進するならば為替投機の規制こそ必要である。

第九にTPP推進派の動機は日本国民の利益ではなく、米国への従属である。毎日新聞がスクープした政府の内部文書ではオバマ政権の評価を第一としていた。さらにTPP賛成派の吉良州司議員は「日本が国家主権を主張するのは50年早い」と発言したと報道されている。

第十に「早期に参加して有利な条件を獲得する」は虚偽である。交渉参加には事前協議・事前通告が必要であり、日本が参加した時は条件が決まった後である。そして交渉に参加したら、「米国との関係が悪くなる」との脅しが出てくるだろう。

 

福島第一原発事故の解決

「事故の完全収束」

福島第一原発事故の最大の問題は現時点でも事故が収束していないことである。日本政府は201212月に「冷温停止状態」を宣言したが、到底収束したとはいえない。今も放射能は漏洩し続けている。これを完全に止めさせ、放射能に汚染された汚泥の保管を東電に処理させるよう、国と東電に要求していく必要がある。

 

「原因の究明と責任の所在を明らかにする。」

今回の事故の責任は国と東京電力にある。福島原発事故の責任は自公政権の原発推進政策の過ちであり、それを機械的に踏襲した現政権の過ちである。日本政府はスリーマイル島(当時大平正芳首相)、チェルノブイリ(当時中曽根康弘首相)の事故から教訓を学び取ってこなかった。

危険性を認識していながら、これまでの政府は原発を推進してきた。原発が安全なら人口密集地(東京湾等)への建設を避けない筈である。原発建設地域に特別交付金を支給し、地元を優遇する必要もない。

福島県民には原発事故の責任はなく、「皆で協力して頑張ろう」ということは筋違いである。原発立地に賛成したことをもって県民に責任を負わせる議論があるが、国と東京電力による利益誘導と「原発は絶対安全」という虚偽説明に基づく歪められた賛成であり、正当な意思表示ではない。

東急不動産は隣地建て替えという不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りした。それは消費者の自由な意思表示を妨げるものとして、消費者契約法に基づき売買契約を取り消された(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社)。原発立地住民の中の賛成意見も同じように否定されるべきものである。

東京電力の姿勢は原発事故の加害企業のものではない。東京電力の電気料金値上げ方針に企業の怒りが噴出している。電気料金の値上げは独占企業故の驕りである。企業向け電気料金の値上げも中小企業ばかりが打撃を受け、大口割引などが受けられる大企業への痛みは少ない。巨額の金融支援がなければ倒産が免れない企業に経営権を巡って政府と攻防を繰り広げる資格はない。

 

「被曝者の健康を守り、生活を補償する。」

福島事故は第3の原爆投下といわれ、今後5年から10年に渡って甲状腺癌等被曝病発症の恐れがある。特に大人よりも体内被曝を受けやすい成長期の子どもたちが成長期に被る著しい被害を避けるためには、なによりも遠隔地に避難することが現実的な有効策である。

 

「労働者・農民・漁民等の就業を保障する。」

東京電力の損害賠償案に対しては、賠償額が低い、書きにくいと被害者の不満が殺到している。

 

除染の問題

「被曝を避けられない除染は中止し、必要とされる除染事業だけでなく、子どものいる家族の避難・疎開・移住と生活・就業を保障する方向もあわせたバランスのよい支援をすべきだ。」

福島第一原発事故で広範囲に広がった放射能汚染に対し、除染には過大な期待をすることはできない。以下に理由を述べる。

第一に効率性である。福島原発周辺地域から人間を移動させることと、周辺地域にある物質(大気や土壌、地下水まで)を除染することの何れが相対的に容易かという問題である。除染は絶望的な作業である。

恐らく行政は福島第一原発から半径50キロメートル以内の住民を避難させることは頭から非現実的と考えているだろう。しかし、半径50キロ内の放射能に汚染された物質全てを除染する方が難事業である。避難よりも除染の方が容易で経済的と考えているならば、適当な除染で、お茶を濁そうとしていることになる。

第二に除染の未完成性である。除染は拡散した放射性物質を抽出して隔離することである。原子力発電所の基本は「閉じ込める」である。福島原発事故では「閉じ込める」ことに失敗した。だから改めて放射性物質を閉じ込める必要がある。

ところが、除染技術は放射性物質だけを抽出するというところまではできていない。それ故に放射線量の高い土を全て取り出すという形になる。その結果、「閉じ込める」放射性廃棄物は膨大な量になる。そして、その膨大な放射性廃棄物を閉じ込める場所は決まっていない。

当時の菅直人首相が中間処理施設を福島県内に設置すると発表した時でさえ猛反発を招いた(林田力「第一原発からの撤退認めていたら東北は全滅していた…菅内閣の元側近が明かす311直後の官邸VS東電ドキュメント」リアルライブ201195日)。関係者が納得する最終処分場を見つけることは不可能である。

「除染に取り組めば、やがて効率的な除染技術が開発される」という楽観論があるが、これは原発推進派と同じ過ちを繰り返すことになる。このような論理で原発推進派も原発という未完成な技術を進めてきた。そして原発は放射性廃棄物の処理の点で「トイレのないマンション」にたとえられるが、除染を進めることも「トイレのないマンション」の矛盾に陥ることになる。

第三に偽りの除染の危険である。正しい除染は拡散した放射性物質を抽出して閉じ込めることであるが、それは上述の通り、行き詰るものである。そこで偽りの除染が登場する。放射性物質を一層拡散して希薄化することで放射線量を低下させることである。残念なことに日本では偽りの除染が進行している。放射能汚染水を海中に流す、放射能に汚染されたガレキを焼却するなどである。

これらは絶対にやってはいけないことである。特にガレキの焼却で大気中に放出されると内部被曝を防ぎようがなくなる。2012年1月に関東地方の照射線量が急上昇したことがあった。福島第一原発4号機に関心が集まったが、東京都によるガレキ焼却の可能性も指摘されている。世界中に放射性物質を拡散することで、国際犯罪にもなりかねない。放射能を拡散させるばかりの日本政府の対応には海外からの視線も厳しさを増している。 

これは偽りの除染に対する批判であって、除染そのものの批判ではない。しかし、現実の除染の中に偽りの除染がある以上、批判しなければならないものである。

第四に除染は原子力村の延命になる。除染を行うためには原子力産業のノウハウが必要であり、除染は原子力産業を潤わせる。本来ならば福島原発事故は原子力産業の息の根を止める人災である。実際、ドイツなどでは原発から撤退した。ところが、日本の原子力村は除染ビジネスで肥え太ろうとしている。

これは放射能汚染の対策が人の避難ではなく、除染中心になってしまったことが問題である。避難中心ならば原子力村にとっては賠償や生活保障の問題である。ところが、除染中心となったために盗人に追い銭を与える状況になってしまった。除染幻想は罪深い。

 

避難の権利

福島第一原発事故で拡散された放射能汚染への対処をめぐって避難を重視する立場と除染を重視する立場で激しい論争が繰り広げられている。ここでは除染を重視する立場を除染派、避難を重視する立場を避難派と呼ぶ。除染派の根拠として「土地への愛着」が挙げられるが、これは理由にならない。

第一に「土地への愛着」の実態を検証する必要がある。放射能汚染によって避難すべき福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いか否かは社会学的な実証がなされた訳ではなく、直感や個人的体験で語られる傾向がある。震災前に福島県内の村が過疎で悩まされていなかったか、若者が仙台や関東地方に流出する傾向がなかったのかという点が問題になる。何もなければ出稼ぎに出るような住民が原発事故を境に愛郷心に目覚めることは奇妙である。愛着ではなく、コミュニティーによる束縛ではないかとの指摘もある。

第二に福島原発周辺地域住民に土地への愛着が強いという分析がなされたとしても、それは放射能汚染下でも福島原発周辺地域を離れない人々の動機を説明するものに過ぎない。この種の傾向があるとしても、除染か避難かという政策の結論を決定付けるものにはならない。そこから「避難ではなく、除染を」という政策論を導き出すならば現状追認である。土地への愛着のために離れられないという事実があるならば、それが価値あることか、意味あることかを検討しなければならない。

これは国民の半数以上が軍備を必要とし、日本国憲法第9条を改正すべきと考えているとしても、改憲を支持することにならないことと同じである。当然のことながら、呪文のように護憲、護憲と唱えることが正しい対策ではない。国民の多くが非武装であることに安全保障上の不安を覚えているという実態があるならば、その不安を払拭することが求められる。たとえば軍隊を廃止して平和を実現しているコスタリカの事例を紹介するなど取り組みなどは有益である。

避難についても住民が自発的に避難しない理由があるならば、それを解消する方策を考えることになる。それが避難の権利の発想である。国が避難しようとする人々の生活を積極的に保障することを求めるものである。避難の権利は多数の人々が福島第一原発周辺地域にとどまっているという現実を踏まえたものである。福島の放射能汚染は強制移住させるレベルとの見解さえある中で、土地に留まりたいという人々にも配慮した概念が避難の権利である。避難派は避難の権利という概念を提示することで、福島の現実に対応している。

第三に福島原発周辺地域に土地への愛着という共同体意識があって、それが避難しない動機になっているならば一層、「避難の権利」を保障する必要が高くなる。何故ならば土地への愛着は社会学的な分析であって、個々人のレベルに還元すれば「避難したい」という少数意見も存在するためである。

コミュニティーとして土地への愛着が強ければ強いほど避難を希望する少数者が意見を言うことは難しくなる。誰もが避難の権利を有しており、その行使を妨げないようにすることが大切になる。避難を呼びかける主張は福島の現実を無視した空論ではなく、現実を踏まえた人権保障の試みである。

実際、避難の権利という考え方はバランスがとれている。

第一に権利と位置付けることで、行使するかしないかの選択を本人に委ねている。有無を言わさずに強権的に避難させる考えとは一線を画す。また、どうしても故郷に残りたいという人の自主性を否定するものではない。

第二に社会権的な人権と位置づけている点である。福島にとどまっている多くの人々も可能ならば避難したいと考えている。生活の見通しもなく自主避難すれば、放射能よりも先に避難先の劣悪な環境で健康を害するという面も否定できない。

現実に自主避難者が悪質なゼロゼロ物件業者の餌食になるというケースもある。ゼロゼロ物件被害は大きく報道され、社会問題と位置付けられたために、ゼロゼロ物件業者がターゲットとしていたフリーターらからは忌避されるようになった。しかし、東日本大震災や福島原発事故の避難需要で儲けているという悲しい現実がある。貧困ビジネスのターゲットは被災者にも向かっている。

遠くから福島原発周辺の住民に「逃げろ、逃げろ」と呼びかけることには意味がある。呼びかけることしかできない人が呼びかけることは、その人にできることをする点で意味がある。中には放射能の害悪を楽観的に考えることで福島にとどまる住民もいる。人間には「大したことはない」と思いたい被害過小評価心理が働く(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』)。彼らに放射能の害や除染の無意味さをアピールすることは意味がある。

一方で放射能の害は熟知しているが、避難のための経済的な後押しを求めている人がいることがいることも事実である。避難を呼びかけるだけでは、葛藤を抱えている彼らの助けとしては弱い。避難の権利を社会権的に保障することは実効的な対策になる。

最後に社会運動において人権をベースとすることは、自己責任論などの切り捨て論に対する論理的な強みを発揮する。これについてはマンション建設運動に関して論じた(林田力「マンション建設反対運動は人権論で再構築を」PJニュース2011617日)。

 

エネルギー政策の転換

「原子力発電の全面廃止:第2のフクシマを出さないように全世界に向かって原発と核の廃絶を訴える。エネルギーは水力、火力だけに頼らず、太陽(光熱)・地熱・風力・海洋・バイオマス(廃材)・水素発電等々リサイクル可能な代替エネルギーの開発・援助を行う。」

最優先課題は原発の全面廃止である。代替エネルギーは将来的な課題であり、代替エネルギーが不十分であることは原発正当化の理由にならない。

原子力発電はコストが高く、原発による発電が電気料金を高くする一因となっている。原発事故以前に原発は発電方法として非効率である。原発で生じるエネルギーの大半は発電ではなく、周辺の海を温めるために使われている。そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は、隠された原発のコストの大きさを白日の下にさらした。「原発のコストは他の電源より安い」という原発推進の偽りが露呈した。

これまで電力会社は地域独占が認められ、料金設定はコストから計算されていた。コストを高くすれば料金も高くできる仕組みになっており、高価な原発を導入し、原発推進に膨大な広告費を投入するインセンティブになっていた。

原発推進派には「原発反対派は電気を使うな」との暴論を主張する者がいるが、筋違いである。もし電力消費者として発電所を選択できるのであれば、喜んで原発以外の発電所を選択する。

原発推進派には原発反対派に代案の提示を要求する者がいるが、筋違いである。原発反対派は原発が問題であるから反対するだけであり、代案を提示しなければならない義務はない。政商と批判される孫正義のような自然エネルギー利権などに原発反対派が巻き込まれる必要はない。

原発反対派は最初の原発設置の時から一貫して反対してきた。自然エネルギーの研究を怠り、これまでひたすら原発を増やしてきたという経緯は反対派を無視して築かれてきたものである。既に原発が存在するから、それを前提にしろ、という主張は既成事実の強引な押し付けである。

原発がなくても電力供給は困らない。「原発が無いと、電力が足りない」は虚偽である。東日本大震災直後に電力供給が逼迫したことは事実であるが、それは火力発電所も操業を停止したためである。火力発電所は迅速に復旧している。

東日本大震災後の計画停電が真に必要なものであったかは検証されるべきである。市会議員が東京電力に停電対象からの除外を要請した武蔵野市が政令指定都市を差し置いて計画停電対象から除外されるなど計画停電は恣意的であった(林田力「武蔵野市を計画停電対象外とする不合理」)。

http://hayariki.net/atom.html

計画停電が東京電力の無策の結果か、原発の必要性をアピールするための脅迫停電かは議論が分かれる。明らかな点は大規模集中型電源の脆弱性である。将来的には再生可能エネルギーを中心とした小規模分散型電源の普及と地産地消のエネルギー社会を目指すべきである。

火力発電所は余力を持っている。原発優先の国策と出力調整が不得手という原発の欠点があるために火力発電所を休ませて原発で発電させた。そのために原発の発電量が3割を超える結果となったのであり、火力発電所で補うことは可能である。現実に2003年に東京電力の17基の原発がトラブル隠しによって全て停止した際も電気は供給された。

原発推進派は火力発電所依存に対して二酸化炭素の排出を持ち出す。しかし、これこそ本末転倒の議論である。放射性廃棄物の有害性は二酸化炭素の比ではない。汚染を防ぎ環境を守るには、放射性廃棄物を封じ込めて未来永劫、隔離する必要がある。環境を持ち出すならば原発こそ槍玉に挙げなければならない。

 

発送電分離

「独禁法に触れないよう発送電分離を行い、新規事業者の参入を容易にさせる。」

脱原発にとって自然エネルギー以上に重要なものが発送電の分離である。本来ならば脱原発を唱える消費者が率先して原発推進企業の不買運動によって意思表示すべきであるが、残念なことに現代の日本では一般消費者は電力会社を選択できない。

一方で自治体のような大口需要家は電力自由化によって電力会社を選択可能で、脱原発を主張する自治体で入札による電力調達の動きがある。しかし、日本の電力自由化は発送電の分離が不完全なもので、送電網を掌握する地域独占会社が競争上有利な地位にあり、入札しても東京電力が落札するケースもある。

送電網はエッセンシャル・ファシリティとして地域電力会社の独占が当然視されているが、独占禁止法の立場から地域独占会社が新規参入業者を圧迫しないように発送電を厳格に分離すべきである。

 

セーフティーネットの整備(社会保障の確立)

「誰もが子どもを生み育てられる社会へ」

 

「(憲法25条の実現)国民の最低限度の健康で文化的生活を営む権利を守り国家はそれを遂行すべき。」

生存権はスローガンではなく、実体的な権利である。生存権を保障することは国家の義務である。派遣切りによって派遣労働者が住む場所も失い路上生活を余儀なくされる現代日本において生存権の意義は非常に大きい。

ところが、残念なことに社会的要請に憲法学は十分に対応できていない。それは生存権を国家によって保障される社会権・後国家的権利として、表現の自由のような自由権・前国家的権利の一段下に位置付ける傾向があるためである。しかし、生存権は1793年のジャコバン憲法に生存権の源流を見出すことができる。また、革命家バブーフは生存権を自然権と位置付けていた。

 

「労働者派遣法(登録型派遣の禁止)、正規社員を増やし、労働者の生活を安定させる。」

「同一労働同一賃金」

企業が非正規を利用する理由はコスト削減になるからである。同一労働同一賃金は企業が非正規を利用するメリットをなくす。

 

「最低賃金を引き上げる。ベーシックインカム(基礎所得保障)を検討する。」

閉塞感が漂う現代においてベーシック・インカムが脚光を浴びている。ベーシック・インカムは全ての人々に一定の所得を保障する制度である。政府が毎月最低限の生活を送るのに必要とされている金銭を支給する。ベーシック・インカムは、ワーキングプアに象徴されるように個人の努力では抜け出せない硬直化した日本の格差社会で人間性を回復する基盤になる。

ベーシック・インカムの利点として以下の3点を挙げる。

第一に反社会的な仕事に就労する必要性がなくなることである。たとえば欠陥住宅を売りつける悪徳不動産業者のような仕事である。パンのための労働から解放されるため、自分の良心に偽る仕事に従事する必要はない。これは反社会的な仕事を減少させることにつながる。それで悪徳商法が消滅すると考えるならば楽観的だが、少なくとも「だます側にも事情があった」「企業の存続のために仕方がなかった」的な言い訳を封じることができる。これは悪徳商法の反道徳性を際立たせ、社会のモラルを高めることになる。

第二に社会的な必要性は高いが、収入面で厳しい仕事を維持することができる。ベーシック・インカムは労働の経済的価値と所得を分離するため、市場経済の下では消えてしまう仕事を救うことができる。この政策は既に部分的に具体化している。たとえば食糧自給に必要な農業者戸別所得補償制度である。また、子ども手当ても経済的には割に合わないが、人口減少への歯止めになる子育てに対する補償と位置付けることができる。

この種のピンポイントの所得補償は第一歩であるが、制度対象者と非対象者の境界線上のいる人々から不公平感が生じることは免れない。実際、農業者戸別所得補償制度は米農家のみならず、畑作や畜産への拡大が議論されている。これに対して、ベーシック・インカムは普遍的に適用される。

第三に政府の組織や制度をシンプルにできる。前述の農業者戸別所得補償制度や子ども手当てだけでなく、様々な社会保障制度(年金・失業手当・生活保護)を一本化できる。この点でベーシック・インカムは小さな政府の支持者にも支持を広げられる可能性がある。

ベーシック・インカムへの懸念と反論を2つの点から述べる。

第一に働かなくなる人が増えるとの懸念である。しかし、人間にとって労働は自己実現の要素もある。それ故に所得が補償されたとしても、万人が働かなくなることは考えられない。それでも一定数の働かなくなる人が増えることは十分に考えられるが、現代は無理やり消費を喚起しなければ物が売れない生産過剰の時代である。

不自然に仕事を作り出し、消費を煽るケインズ的な資本主義の方が無駄であり、害悪である。働かなくなる人が増えることは、環境負荷を含めた広い意味の経済効率に資する。働かなくなる人々の存在は社会のモラルを荒廃させるものではなく、ひたすら経済発展に突き進む異常な社会意識を健全化させることになる。

第二に政府支出の増大への懸念である。ここでは発想の転換をする必要がある。人民の生活は国家の責任の範囲外と考えるならば、国家による社会保障は余計なことであり、人民の自助を要求して可能な限り切り詰めることが小さな政府につながることになる。しかし、そのような意味での小さな政府は成り立たない。

いくら市場経済の結果であろうと、国内に多数の餓死者や貧困者を抱えるならば失政である。自己責任を声高に叫んで頬かむりをしようとも、政府への批判は免れない。そうであるならば小さな政府の課題は、社会保障の切り詰めではなく、効率的な仕組みを効率することになる。社会保障制度を単純化するベーシック・インカムは、その解になる(林田力「ベーシック・インカムの可能性」PJニュース2010422)。

 

「ワークシェアリング「勤務時間短縮」で解雇者を出さない」

「失業者救済制度の法整備とその実施」

「年金のあり方を検討し支給の不正、未支給の解消」

「医療派遣制度の検討と従事者不足を解消する・介護従事者確保の為の施策を進める。現在一割負担が凍結された障害者自立支援法の新法を検討。障がい者の学習権を保障。」

 

「高齢者の生活と人間としての尊厳を保証し、終末のホスピスケア等地域社会で高齢者を見守り生かせるよう自治体と国が行う。」

 

「就学困難児童・生徒への援助、奨学金制度を充実させる。」

奨学金は給付型を主体とすべきである。

 

「公的住宅(低家賃住宅)の増設」

賃貸住宅市場を公共セクター中心にする。日本は持ち家信仰が過度に強いが、それは民間任せの賃貸市場が貧弱であるためである。ゼロゼロ物件や追い出し屋に見られるように賃貸住宅は貧弱で、悪徳不動産業者や貧困ビジネスの温床になっている。宅建業法違反で業務停止処分を受けたグリーンウッド新宿店は「礼金0敷金0仲介手数料1万円・ 無職・アルバイト・フリーター・派遣OK 保証人無し 相談 東京・神奈川・千葉・埼玉のお部屋探しはグリーンウッド新宿店」を売り文句にしており、無職やフリーターをターゲットとしている。低所得者を狙い撃ちにした貧困ビジネスになっている。

廉価で良質な公営住宅の供給拡大は、悪徳不動産業者や貧困ビジネスを排除し、日本を暮らしやすくする道である。また、安価な賃貸住宅の供給は可処分所得を増大させ、景気対策にもつながります(林田力「住宅購入促進は景気回復に役立つか」PJニュース2010315日)。

http://www.pjnews.net/news/794/20100314_8

 

「不動産取引の健全化(土地使用制度の見直し、売買契約後に判明した欠陥は契約白紙化に)」

売買契約後に事前に売主が説明していない問題が発覚した場合、無条件で不動産売買契約を無効化し、売主は売買代金全額を返還する。

不動産(特にマンション)の欠陥問題は深刻であるが、司法は契約の白紙化には消極的である。売買代金の全額返還が認められた例は東急不動産消費者契約法違反訴訟アルス東陽町301号室事件くらいである(東京地裁平成18830日判決、平成17年(ワ)3018号)。契約白紙化を義務付けることで、例えば耐震強度偽装事件の被害者が二重ローンで苦しむような不合理がなくなる。

 

「宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底」

東急不動産だまし売り裁判の経験に基づいて、だまし売りや欠陥住宅に対する不動産売買契約の白紙化が提案された。それは「不動産取引の健全化 (土地使用制度の見直し、売買契約後に判明した欠陥は契約白紙化に)」となっている。一方で住まいの問題には分譲だけではなく、賃貸もあります。賃貸にも目配せすることで、よりバランスの取れたマニフェストになる。

例えばグリーンウッド新宿店(吉野敏和代表)は賃貸借契約書に記載のない退室立ち会い費を受領したとして宅建業法違反で業務停止処分となりました(東京都都市整備局「宅地建物取引業者に対する行政処分について」201068日)。このような違法業者への処分が迅速に行われ、周知されることで救われる消費者は大勢存在する。

しかし、残念なことに現在の行政が悪徳不動産業者からの消費者保護に積極的とは言えない。グリーンウッドへの処分も市民団体「住まいの貧困に取り組むネットワーク」からの粘り強い申し入れがあった。「住まいの貧困に取り組むネットワーク」の申し入れは200912月で、処分は20106月で半年経過している。しかも、「住まいの貧困に取り組むネットワーク」では以下の通り、グリーンウッドに様々な問題があると指摘している。

「シンエイ物件を多く仲介している代々木のグリーンウッドについても、事前に内見をさせないなど多くの不当行為が確認されている。」(東京都知事宛「(株)シンエイ並びに(株)シンエイエステートに対する指導・是正と賃貸トラブルの対応窓口一元化を求める申し入れ」20091218日)

また、賃借人の被害と比べて十日間の処分が軽すぎるのではないかとの指摘もある。「住まいの貧困に取り組むネットワーク」は以下のように指摘する。

「シンエイエステートとグリーンウッド、そしてシンエイがやってきたこと、つまり、借家人の権利を踏みにじり、違法な利益を上げてきた行為について、いまだ、彼らはなんら当事者への謝罪、賠償をしていない、ということです。」(住まいの貧困に取り組むネットワーク ブログ「シンエイエステートとグリーンウッドに対して東京都が行政処分」201068日)

これは政治のスタンスが求められる問題である。グリーンウッドの処分は東京都が行ったものであり、これは地方自治にも直結する問題である。

ゼロゼロ物件撲滅の根本的な対策は公的住宅の拡充になる。日本の現状は圧倒的に民間セクター中心である。財政事情を踏まえると一朝一夕に公的住宅中心にすることは困難であり、大多数の消費者が民間セクターの賃貸住宅に居住することになる。従って民間の悪徳不動産業者対策は、公的住宅拡充と並行して求められる。以上より、宅建業法違反業者への迅速な処分と周知公表の徹底が求められる。

 

「貧困者向け生活補助制度を確立する(生活保護法・就労就学支援の充実)」

「労働基準法を守らない企業に対する指導の徹底」

「労働基準監督署が各企業を回り、当該社員からの届け出がなくても実態を調査し、改善をはからせる。」

ワタミフードサービスが経営する大手居酒屋チェーン「和民」で働いていた26歳の女性社員の自殺が過労死と認定されていたことが2012年2月に判明した。女性社員は神奈川県横須賀市にある店に勤め入社2カ月で自殺した。この自殺に対し、神奈川労災補償保険審査官は労災適用を認めると決定した。

この問題によってワタミの経営姿勢が問われているが、ワタミに問題があることは以前から指摘されていたことである(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」)。労働基準監督署が積極的に監視する必要がある。

http://www.hayariki.net/poli/tokyo.html

 

「未払い残業(サービス残業)の禁止」

「有給休暇取得と利用の権利と消化を保障する。」

 

「ホームレスの社会復帰のための施設と制度を整備する」

ホームレスの排除・追い出しを求めるものではない。

 

「厚生労働省から労働省の分離独立を検討する。」

 

外交・防衛

「憲法9条を守り世界に広める。(日本国憲法前文と第9条を世界各国の言語に翻訳して、各国に配布する)」

防衛省の経費・実務は機密でなく情報公開とする。自衛隊の海外派遣反対(ジブチから撤退する)、自衛隊を縮小し、災害救援や緑を守る等、自衛隊の日常業務内容も検討する。武器輸出禁止3原則を厳守する。

国民投票法(施行2010年・平成225月)の再審議をし、改憲阻止をはかる。

すべての国から外国軍基地(日本は米軍基地)をなくし、9条こそ最大の抑止力として国家間の武力紛争をなくす。」

米国外で海兵隊が常駐している国は日本だけである。米国防総省の発表によると、日本政府は2004年に在日米軍駐留費のうち74・5%を負担する。世界最高の負担率であり、対米従属ぶりを物語る。

 

「「日米安保条約」の見直し・解消(安保条約破棄第10:一年ごとの更新、片方からの申し出で即廃棄できる)し、「日米平和友好条約」を締結する。@ 思いやり予算の打ち切り A 普天間基地無条件撤去、沖縄差別をなくす B米軍基地の縮小・撤去、基地被害を絶無にする。」

「近隣諸国との友好を深め、領土問題等国際紛争の解決には武力を用いない。近隣諸国との人的、経済、文化交流を拡大し、友好条約を生かし、相互の信頼関係を深める(このことが真の抑止力となる)。朝鮮民主主義人民共和国との戦後補償問題を解決し・国交正常化(平和協定を結ぶ)をはかり、拉致問題の早期解決をはかる。北方領土(歯舞・色丹・国後・択捉)の返還要求は国際司法裁判所への提訴も検討する。

 

「核兵器廃絶を実現する 核の拡散を防ぐため核保有国の「核兵器不使用宣言」を求め、国連で採択させる。人類共有の悲劇である広島・長崎の被爆を世界に知らせて核廃絶の道を進める。米国の核の傘からの離脱。非核3原則の法制化。

 

「核兵器製造保有の意図であった原子力発電推進の政策を止める。原発は廃止して福島から放射能汚染を引き起こした贖罪をすべきです。」

 

選挙問題

企業からの献金廃止

親と同じ地盤(同一選挙区)からの世襲立候補禁止

 

「小選挙区制の見直し(少数党を優遇)

小選挙区制には死票が多いというデメリットがある。

 

「議員定数削減反対、報酬の見直しを」

議員定数削減ではなく議員倍増を主張する。

議員定数削減論の根拠は議員歳費削減であり、それは税金で負担されるものであるため、究極的には国民(住民)の負担軽減である。しかし、議員は国民の代表者であり、行政が税金を無駄遣いしないか監視する立場である。監視するコストを減らすならば、より大きな無駄が発生する可能性がある。現実問題として、日本の議会と行政の力関係は依然として行政優位である。まだまだ議会は力不足であり、議会を強化する必要がある。

確かに議員が腐敗の元凶という見方も一定の説得力がある(林田力「お騒がせ首長は改革者か暴君か」PJニュース201097日)。しかし、腐敗した議員を排除することと議員定数削減は無関係である。議員定数削減は反対に腐敗した議員ばかり残す結果にもなりかねない。それよりも議員定数を増やして、市民常識のある議員を増やす方が議会改革になる。

行政を監視するコストとして、議会コストの負担が正当化されるとしても、無駄遣いが正当化される訳ではない。また、議員定数を倍増するならば新たな費用が発生する。その財源は現在の高額な議員報酬を削減すれば良い。実際、ヨーロッパ諸国などでは人口と比較した議員の数は日本より多く、議員の報酬は日本よりも少ない。

議員定数を増やすメリットは議員と有権者の距離が近付くことである。10万人の代表よりも1万人の代表の方が議員との距離が近くなる。議員と有権者の距離が近ければ、議員からの議会の状況も、有権者からの市民生活の状況も、直接生きた情報として相手に伝えることができる。

議員の数が増えれば、これまでよりも少数の有権者の支持で当選できることになる。これは選挙に莫大な金をかけなくても当選できることを意味する。汚職政治家のように無理に手を汚して利権を創り出し、分配する必要もない。まっとうな政策を掲げて、それを支持する人がいれば当選できる。これは望ましい選挙の在り方である。

少数の有権者の支持で議員が当選できることへの懸念として、特定の思想や経済的利益に基づいた集団の力で議員が当選しやすくなる点が考えられる。しかし、特定の思想や経済的利益に基づいた集団が社会に存在することを否定しないならば、彼らを排除するのではなく、彼らの代表を認めるべきである。

彼らの主張の採否は議会において判断すべきである。議会から排除するならば、議会は市民各層の代表ではなく、市民多数派の代表に過ぎなくなる。既に小選挙区制度や高額な供託金制度によって、日本の議会は市民多数派と、せいぜい体制内批判派の代表に堕する危険がある。

少数の有権者の支持で議員が当選できるならば、特定の支持者への利益誘導が露骨になるとの懸念もあるだろう。しかし、議員の数が増加することで議員個々の力も分散されるから、反対に巨大な利権からは縁遠くなる。所詮、人間は神よりは猿に近い存在である。腐敗が避けられないならば腐敗を小さくする方法を考えるべきである。システムを考える場合、最善を追求するよりも、大きな弊害を回避することを優先すべきである。そのような考えから民主主義も三権分立も存在している(林田力「議員定数削減ではなく議員倍増を」)。

http://hayariki.net/poli/kanpo.html

 

「クォータ制導入(男女の構成比率決定、2009年は女性議員9.4%)

 

「費用のかからない選挙制度の実現、供託金を引き下げる。」

日本では選挙に立候補する権利が大きく制限されている。衆参とも比例区は300万円、選挙区は600万円もの高額の供託金が必要である。これに対し、イギリスは僅か9万円程度とする。

 

「インターネット利用の検討」

ネットの利点はウェブサイトを開設すればインターネットに接続するコンピュータからは誰でも閲覧できることである。これをリアルの媒体で実現するならば大きな資力や組織力が必要になる。インターネットを利用すれば遙かに安価で大量の情報を発信できる。

勿論、誰もが閲覧できるということと、実際に閲覧する人がいるということは別問題である。多数の有権者を自己のサイトに誘導するためには資力や組織力があった方が圧倒的に有利である。しかし圧倒的な資力や組織力がなくてもネット上の情報を多くの人の目に留めることは可能である。

資力や組織力がなくても、個人の労力だけでも、多数の無料サービスを利用し、アクセスアップやSEOのテクニックを駆使すれば特定の分野で目立たせることは可能である。これをリアルの媒体で行うのは至難の業である。従ってネットが資力や組織力に欠ける人々にとって福音となることは間違いない。

多数派候補に資力や組織力が及ばない、少数派候補であってもリソースの効果的な活用でインターネット上での情報戦を制することが可能である。問題は圧倒的な資力と組織力を持つ者が有利になるのではなく、それなりの資力と組織力を使えばインターネット上の多数意見を作出できる。これを少数派の対抗言論として肯定的に評価するか、言論空間を歪めるものと否定的に評価するかという価値観の相違が対立の背景にある。

ネット選挙運動を否定する側は圧倒的な資力と組織力を持つ者が有利になることを恐れているのではない。資力と組織力に劣る候補者がインターネット上の言論空間では資力と組織力の勝る候補者を凌駕できるという事実を恐れている。

インターネットではウェブサイトを開設すれば誰でも閲覧できるという最低限の機会の平等は保障されている。選挙運動においては結果の平等よりも機会の平等を重視すべきである。積極的に選挙運動をした候補者が、そうでない候補者よりも有権者の目に触れる機会が多くなる。これは不平等ではなく、当然の帰結である。

同様にネット選挙運動でも全ての有権者が各候補者のウェブサイトを同じようにアクセスしなければならないという類の結果の平等を追求する必要性はない。資力と組織力があった方が圧倒的に有利だが、その点はリアルの選挙運動の方がシビアである。むしろネットでの選挙運動の方が資力や組織力を持たない候補者にとって逆転しやすい。

結論として、ネット選挙運動は資力や組織力のある候補者のみを利するものではない。また、特定の候補者に有利に働く可能性もあるが、インターネット上では最低限の機会の平等は保障されており、積極的なネット活用によって特定候補がネット上で目立つこと自体は不公正ではないと考える(林田力「ネット選挙運動は資力ある候補者に有利か」PJニュース2010320日)。

 

政党交付金(助成金)のみなおし

誰もが立候補できるように、選挙活動期間中(法定)の休職を保障し、復職可を義務づける。

 

財源を確保して税金の無駄使いを禁止する。

1)中小零細企業援助の拡大 2)軍縮・防衛費の大幅削減(軍事費を教育・福祉にまわす)、国防費の公開、事業仕分けに載せる。思いやり予算の打ち切り。 3)公務員天下り廃止(公募制を導入)と公務員の有効活用(出向等)  4)一般会計の3倍もある裏帳簿の特別会計を表に出し、特殊法人・公益法人・独立行政法人・原燃・・など税金無駄遣いの整理・廃止を断行5)資産課税、相続税、所得税による累進課税の強化(年収1億円以上に増税)消費税による増税は認めない。

消費税は逆進性のある不公正な税制である。消費税の増税は景気を悪化させる。

 

「最高限所得(国民の平均年所得の30倍までとする)・最高限資産(国民平均資産の30倍まで)の制定を検討。」

反格差の運動は世界中に盛り上がっているが、具体的に規定する。

 

「不労所得への課税システムの強化(地主、家主、土地使用制度の見直し)」

地主や家主への規制はグリーンウッド宅建業法違反事件に見られるような住まいの貧困問題の対策にもなる。但し、法と経済学的な立場に立つならば地主への課税などの規制が往々にして賃借人に転嫁されてしまうという悲しい現実もある。

 

8)企業の株主配当を下げ、役員報酬を削減、企業内部留保金を従業員の待遇改善に回し、社会全体の消費を高め経済を活性化させる。9)バブル経済の防止と赤字国債の解消為 日銀総裁の解任権を国会が持ち、日本政府が通貨を発行できるよう検討する。

 

食糧自給率の拡大

農林水産業の再生・個別所得補償制度の検討(日本の過疎地域での共同化や自給自足への補助奨励)「世界の食糧不足の原因究明と解決方法の模索」

 

司法

「裁判員制度の見直し:義務化反対・冤罪(えんざい)の根絶と死刑廃止を目指す。裁判官は権力に媚びない。」

裁判所の官僚的体質は多くの方々が多くの場所で指摘済みで、わざわざ繰り返すものではない。東急不動産だまし売り裁判原告として不動産問題に取り組んだ林田力としては、官舎の問題を付け加える。裁判官は基本的に官舎住まいである。公務員住宅全体には税金を使った官民格差の不合理があるが、特に裁判官が生活の基本である住宅を国にあてがわれていることは国への従属度を強めることになる。

自分で家探しして、敷金や礼金を払うという経験がないと消費者の立場で不動産問題を考えることはできない。官舎住まいでは市民感覚から離れてしまう。裁判官は転勤が多いという事情があり、住宅関連の手当てが必要としても、キャッシュで手当てとして支給し、自分で民間の不動産市場で契約する経験をすべきである。それによって少しは市民感覚に近づくことができる(林田力「ジャーナリスト講座 全てを疑え!」真相JAPAN59号、201227日)。

 

警察

「公安の縮小、取調べ可視化の実現、(警察署の風通しを良くして、国民が不当な扱いを受けないようにする)」

警察は企業犯罪や権力犯罪を問題視すべきである。

 

環境

放射能による汚染も毒物の汚染と同等かそれ以上の危険物として扱う。

地球汚染の防止、自然環境保護、生活に役立つものを研究・開発して、それらの製品や技術の輸出を日本の主要産業にする(国の助成を検討)。持続可能な社会を定義したナチュラルステップを環境政策の基本とする。

 

「宇宙開発は軍事目的ではなく平和利用のみとする(宇宙基本法を宇宙保護法へ)。」

日本の経済的繁栄の一因は宇宙を舞台にした軍拡競争に参加しなかった点にある。宇宙開発が繁栄を約束するならばソ連は崩壊しなかった。米国が双子の赤字に苦しむこともなかった。現実はその逆で、経済性を無視した宇宙開発競争が米ソ超大国の経済を疲弊させた。宇宙開発は経済にとってお荷物である。地球上で生活する人類に恩恵を与えないものが経済発展をもたらすというのは幻想に過ぎない。

何の戦略もないまま先端技術というだけで飛びつくことは昔からの日本人の悪癖である。結局は膨大な資金、時間、更には人命までも費やし、徒労に終わるだけである。しかし残念ながら、現実を直視できる人はいつも少数派である。

不況で自分に自信が持てずナショナリズムで自尊心を維持するしかないため保守・右傾化した層は、「日本」「国産」「自主開発技術」等の言葉が出るとROIも検証せずに酔いしれてしまう。日本は経済大国と自惚れているが、経済の規模こそ大きいものの借金の規模はそれより遥かに大きい(林田力「宇宙開発の徹底的な事業仕分けを」)。

http://hayariki.net/poli/space.html

 

海底資源の調査・研究・開発。ごみゼロを目指し、再利用と発生の抑制を考える。屋上の緑化推進。遺伝子組み換え食物の禁止。有害物質の検出強化。受動喫煙の害を防ぐため、公共の場等不特定多数の人々が利用するスペースは禁煙とする。全てに有用な大麻の栽培を図り新たなエネルギーとする。

 

平和教育

「「人権尊重・多文化共生」を目指す、民主教育の推進。学校に「平和学と政治に関する講座」を設ける。」

学校教育で印象に残っているものの1つに小学校以来の平和教育・戦争教育がある。侵略の恥部を隠蔽し、戦争を美化しようとする反動的傾向が強まりつつある現在とは異なり、当時は「教え子を戦場に送るな」というスローガンが健在で、平和教育も活発であった。地域的にも革新政党が強かった。その影響を受け、子どもの頃から平和主義、戦争放棄一辺倒だった。

国家のために人を殺すことは悪徳の極みであり、大義名分で粉飾する点が、この上なく醜悪と考えている。広島旅行で訪れた原爆資料館は忘れられない。韓国や北朝鮮の根強い反日感情についても、豊臣秀吉や近代日本に侵略された側の痛みへの共感から当然と理解していた。

その後、様々な書籍を読み、勉強した結果、平和教育への疑問もある。例えば戦争の加害者(侵略者)としてよりも被害者としての視点が強い点がある。東京大空襲の被害は強調するが、実は日本軍が東京大空襲の数年前から民間人を対象とする無差別爆撃を中国で執拗に行っていたことは知られていない。これは自己弁護と責任転嫁により正当化し、自国を被害者とする無反省な論調に力を与えている面もある。

中国で行われたサッカーの国際大会で、会場になった重慶の住民から日本の選手・サポーターに強いブーイングを浴びせられたことがあった。この事件の報道に際し、マスメディアは現象を表面的に報道するだけでなく、その背景として日本軍による爆撃の被害があったことも伝えていた。これは物事を歴史的に捉えることができるようになった点でよい傾向である。

また、侵略は悪いと言うが、誰が悪いのかという点は曖昧なままにされる傾向がある。軍部が槍玉に挙げられることがほとんどだが、軍部と絞ったところで依然として固有名詞は出てこない。一億総懺悔という論法は責任の所在を不明確にし、罰せられるべき者の罪を見逃してしまう結果となる。

他にも子供に細かい事情を教えない点、戦争(戦場)の悲惨さは強調するが人々の日常生活までも支配に組み入れてしまう植民地支配や占領支配の過酷さには、あまり触れない点にも不満がある。

また、現在、自らが戦後民主主義の担い手であるかのように振舞っている政党、新聞社、知識人の欺瞞も知った。彼らの多くが戦争中は戦争反対とは一言も言わず、大政翼賛会に合流したり、大本営発表をそのまま報道したりしていた。戦後民主主義の担い手の中に、自らの過去は何ら反省せず、まるで高いところにでもいるような立場から政権を批判する欺瞞的な輩がいる以上、団結することも、主流派となることもできない。これは当然である。

それでも私にとって、平和教育が学校から真面目に吸収できた教育の一つであり、これが物事の考え方のバックボーンになっていることは間違いない。私が権力を持つ側ではなく、虐げられた人々の側に立とうと考えた背景には、東急不動産(販売代理:東急リバブル)から新築マンションをだまし売りされた経験が大きい(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。しかし、権力を嫌う土台には平和教育があった。

それ故に無前提に「愛国心」を繰り返されても、受け入れることはできない。社会人になって源泉徴収表を見ると「愛国心、税金取られて敵国心」という心境にもなる。むしろ自国や民族の優越性の主張は、自分に自信がもてない輩が自尊心を満足させるための方便である。または悪党が自己の悪行を正当化するための方便である。

ネット右翼などの「従軍慰安婦や南京大虐殺はなかった」、「日本軍は戦争犯罪を何らしていない」という論調にも惑わされることはなかった。戦争になれば必ず虐殺や暴行は起こる。戦争というものがそういうものなのである。

どれだけ軍律を厳しくしても意味はない。戦場で正気を保つこと自体無理である。自由と民主主義を国是とするアメリカでさえ、捕虜への虐待を止めることはできない。ましてや、人権観念の皆無な半世紀前の日本軍では、推して知るべし、である。

また、自虐史観という言葉が流行っているが、これも全く理に合わない。自己の犯罪を自ら糾弾するならば、自分で自分を苛め苦しめることになるかもしれない。しかし戦争犯罪者の戦争責任を追及することは自己を痛みつけることではない。たとえその戦争犯罪者が自国の為政者であっても同じである。さもなければ同じ町に住むチンピラの犯罪を糾弾することも自虐になってしまう。自虐史観という言葉を意識する人はその時点で自己を戦争犯罪者と同列に置いている(林田力「平和教育の思い出」)。

http://www.hayariki.net/poli/japan.htm

 

改正教育基本法を元に戻す

「教育の国家統制を認めない。教育現場における不当な労働強化、監視と管理体制の廃止。「こどもの権利条約」を教育現場に生かす。」

愛国心教育が問題の典型であるが、愛国心の押しつけを批判する側にも似たような傾向があることに注意したい。教育現場を覆う管理主義は深刻な問題である。しかし、それを批判する教師側にも自己の考えのみを絶対視し、自己と他者を線引きする偏狭さが見受けられる。同じような管理主義の犠牲者の教師に対しても考えの相違する人々に対しては連帯ではなく、反動的な知事や教育委員会に対して同じように執拗に攻撃する。

私は政策作りの市民運動に参加したことがある。そこで管理主義批判の立場から「教育の自由」という提言がなされたが、これに対して「教師に好き勝手させるような印象を与える」との反対意見が出され、「教育の自主性」に変更されたことがある。一部の人々の独善は進歩的な市民でさえも辟易させてしまう。

進歩派さえ辟易する状況である。故に「腐った公務員を何とかしてほしい」と考える多数の市民が「荒療治が必要」「病根を断つために極端な手段も正当化される」と管理教育を推進する首長を支持してしまうことも説明がつく。強権的な首長を手法に問題があっても、むしろ問題があるからこそ支持してしまうという心理である(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」)。

 

共生の経済

1)社会協同組合(協同労働の協同組合)の法制化(労働者を守る)2NPO法の改正(NPO法人認定の緩和や支援の充実)3NPOや政党への寄付については、全額税控除を導入する。

 

人権保障

人種差別撤廃条約の国内法を整備する。国連自由権規約委員会の勧告を受け入れ、女性の人権問題・日本軍「慰安婦」に関する国会決議・立法措置を行う。性的マイノリティ、アイヌ民族、外国人の人権保障。

 

「夫婦が同姓でも、別姓でも自由に選択できるようにする。」

夫婦同姓を定めた民法第750条が「個人の尊厳と両性の本質的平等」などを定めた憲法に違反すると主張する訴訟が起きている。夫婦同姓には制度自体に内在する問題と、日本人の意識が追い付いていないという問題がある。

民法第750条は以下のように夫婦同氏の原則を定めている。

「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」

一方で日本国憲法第24条は以下のように定める。

「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

ここでは個人の尊厳と両性の本質的平等という二つの基準が挙げられている。従って、夫婦同姓が二つの基準に立脚したものか検討する。

まず両性の本質的平等に反しないか検討する。夫婦別姓推進論の多くは男女同権の見地から唱えられるが、制度としては女性差別ではない。条文上は「夫又は妻の氏」としており、女性が一方的に改姓しなければならないものではない。これは夫の姓に改姓する妻が圧倒的に多いという現実の前には空理空論と批判されるかもしれない。

しかし、配偶者の氏に改正することは、配偶者の家に入ることではない。現行制度は結婚すると新しい家が作られる建前である。吉野さんと山田さんが結婚して山田さんが吉野に改姓したとしても、その吉野とは二人の姓であって、山田さんが吉野家に入ることではない。二人が離婚しても、結婚で改姓した吉野さんは吉野のままである。吉野という姓は夫婦の姓であり、誰に遠慮することなく吉野と名乗り続けることができる。

このように現行制度は両性の平等を貫いている。問題は入籍という表現が示すように、日本人の意識が戦前の家制度を引きずっていることである。このような意識がある限り、夫婦別姓で男女平等の実現という主張も正当化される。

次に個人の尊厳に反しないか検討する。現行制度では結婚すると、夫婦の一方が名字を変更しなければならない。氏名は当人を表すもので、個人の尊厳に関係する問題である。結婚という本質的には氏名と関係ない事情で、名字の変更を強制されることは個人の尊厳を損なう。このように夫婦別姓問題は法律論としては男女平等よりも個人の尊厳という点からアプローチした方が適切である。

以上より、選択的夫婦別姓が採用されるべきである。夫婦別姓は家族を破壊するという反論があるが、根拠がない。日本の歴史を振り返れば、そもそも名字を持たない人々が圧倒的多数であった。しかし、彼らの家族が壊れていた訳ではない。名字を持つ層は北条政子や日野富子のように夫婦別姓であった。夫婦別姓が家を破壊するとしたら、戦前の家制度の残滓であり、それが徹底的に破壊されることは望ましいことである。

中国や韓国は夫婦別姓の先進国である。中国や韓国の夫婦別姓は、妻は夫の家に入れないという封建的思想に基づくものであった。しかし、由来は封建的でも制度的には男女平等につながる。現代社会では核家族化が進展しているが、核家族では夫の家に入れないという観念は無意味になる。この点で日本の方が後進的である(林田力「夫婦別姓と男女平等と個人の尊厳」)。

http://hayariki.net/poli/lawyer.html

 

記者クラブの開放

マスコミメディアへの国家権力・経営利権者の介入を阻止し、ジャーナリズムの自立を保障し、市民メディアの参加を認めさせる。

 

地方分権の推進

地方財政の確立、地域で行う仕事に対し、国は介入しない

 

地方参政権

定住外国人の地方参政権を認める。(在日外国人の人権を尊重し、意見を反映させる)

 

 

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